東京高等裁判所 昭和29年(ネ)2391号 判決 1955年7月20日
控訴人(原告) 吉沢良子 外一名
被控訴人(被告) 山梨県知事
補助参加人 吉沢正晴
主文
原判決を取り消す。
被控訴人が別紙目録記載の土地につき昭和二十七年九月一日附をもつてなした買収処分は無効なることを確定する。
訴訟費用(補助参加によるものを除く)は第一、二審とも被控訴人の負担とし補助参加による費用は第一、二審とも補助参加人の負担とする。
事実
控訴代理人は主文第一、二項同旨及び訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張は、控訴代理人において「別紙目録記載の土地は補助参加人の申立に基ずき自作農創設特別措置法第六条の二の規定によつて行われた遡及買収であつて、山梨県東山梨郡勝沼町農業委員会が昭和二十七年八月十九日買収計画を樹立し、同月二十日から同月二十九日まで公告縦覧に供し、山梨県農業委員会は同月三十日右計画を承認したものである。しかるに右土地については控訴人らの先代吉沢恒作と補助参加人吉沢政晴の先代吉沢善次との間には賃貸借はもとより使用貸借すらなく右善次は恒作の不在中右土地を単に事実上管理していたものである。仮りに賃貸借関係があつたとしても、右契約は昭和二十年八月三十日当事者間において合意解除され右恒作は右土地の返還を受けたものであり、当時においては農地調整法第二十条による知事の許可は必要としなかつたものである。また右土地は当時控訴人らの居住していた後屋敷村の隣村に所在するが準区域としての指定はなかつたものである」と述べ、被控訴代理人において「右恒作と善次の間には右土地につき買収に至るまで三十年来賃貸借関係がありその最後の賃料は一ケ年籾二俵又は金三十円であつた」と述べたほか、原判決事実摘示と同一であるので、こゝにこれを引用する。
(立証省略)
理由
被控訴代理人の訴の却下を求める申立の理由のないことは、次に補足する部分を附加する外、すべて原判決のこの点に関する理由の記載と同一であるから、こゝにこれを引用する。すなわち訴訟代理権の欠缺の点については控訴人らは本件控訴の提起について訴訟代理人に対し被控訴人を相手方として適式な委任状を提出したものであるから、仮りに原審における原告ら訴訟代理人の訴訟行為が代理権の欠缺によつて効力を生じなかつたとしても、訴訟中における控訴人らの追認によつて、遡つて有効となつたものである。
よつて本案につき按ずるに別紙目録記載の畑につき、山梨県東山梨郡勝沼町農業委員会が、補助参加人吉沢政晴の請求により、自作農創設特別措置法第六条の二の規定に基ずいて、昭和二十七年八月十九日買収計画を樹立し、同月二十日から同月二十九日まで公告縦覧に供し、山梨県農業委員会が同月三十日右計画を承認し、被控訴人山梨県知事がこれに基ずいて同九月一日吉沢恒作を名宛人として買収令書を発し、控訴人らがこれを受領したことは当事者間に争のないところである。
右畑がもと控訴人らの先代吉沢恒作の所有にして、同人が昭和二十三年四月十三日死亡し控訴人らがこれを共同相続し昭和二十七年七月三十日その旨の登記を経たことは当事者間に争なく、成立に争のない甲第四号証の一、二第七号証、第八号証第九号証の一、二第十号証の一ないし三第十一号証の一、二と原審証人小池きくよ、馬場好記、坂本民治、坂本ひさのの各証言、当審証人小池きくよ、坂本ひさの、馬場好記、坂本民治、小沢保の各証言を綜合すれば「前記吉沢恒作は早くより郷里山梨県東山梨郡東雲村を出でて大阪市に居住し、前記畑はその実弟である同村吉沢善次において賃借の上耕作して来たところ、昭和十九年夏頃恒作の内縁の妻坂本ひさのは先づ大阪市を引きあげて山梨県東山梨郡後屋敷村の実弟馬場好記方に身を寄せ、次いで恒作も同年十二月末大阪市を引きあげ右馬場好記方に身を寄せ同村に居住するに至つたこと、恒作は前記のとおり大阪市を引きあげるや直に前記善次に対し住居の貸与方を申し出で、次いで当時の食糧の事情から田畑を耕作せんとして前記畑及びかねて恒作が買入れ善次に耕作させていた前記東雲村綿塚第二百八番田八畝歩及び同所第二百九番田四畝十九歩の返還を求めたが、容易に善次の承諾するところとならず漸く田は善次において買いとり畑は恒作に返還することとなり昭和二十年八月頃善次は前記畑を恒作に返還したので爾来恒作においてこれを耕作し恒作死亡後はその遺族である坂本ひさの、控訴人らの親権者坂本朋子らにおいて耕作して来たこと。」を認めるほかない。尤も乙第一号証によれば昭和二十二年三月十一日補助参加人吉沢政晴が前記畑の返還を約したように見られないでもないが同号証の文意は必ずしも明確とは言い難く、既に返還した畑につきかような証書を作成することも否定し難く、成立に争のない乙第二号証の一、二第三号証の一ないし三第四号証の一ないし三当審証人吉沢政晴の証言中には前記政晴は昭和二十二年三月十一日前記約定をなして同年六月右畑を返還したとの記載並びに供述があつて、少くとも右昭和二十二年三月十一日に畑の返還のなかつたことはこれを推認し得るので、右乙第一号証のみを以て前記畑の返還が右日時以後であることを直に認めるに由ない。また前記乙号証及び証人吉沢政晴の証言中には、昭和二十一年十二月ないし昭和二十二年春になつてはじめて恒作より前記畑の返還の要求があつた旨の記載並に供述があるが、恒作が既に昭和十九年十二月末に前記後屋敷村に居住したこと及び当時一般に食糧に不安を感じ田畑の耕作を求めていた事情を否定し得ない以上これらの記載並びに供述は容易に措信し得ないところであつて、これらの事情と前記甲号証並びに前記馬場好記、小池きくよ、坂本ひさの、坂本民治、小沢保の各証言と対照して考えると前記乙号証の記載並びに証人吉沢政晴の証言は措信し難く、甲第三号証の一ないし四の記載も前認定を左右するに足らず他に右認定を左右するに足る証拠がない。
然らば昭和二十年十一月二十三日当時前記畑はその所有者である前記吉沢恒作において耕作していたことが明らかで吉沢政晴は自作農創設特別措置法第六条の二にいう請求権者に当らないものであり、これに基ずいてなされた前記一連の買収手続は違法のものというほかない。しかして、右買収手続は国が私人の所有権を所有権者の意思に拘わりなく強権を以つてこれを国に取得することを目的とする行政処分であつて、いわゆる認可許可などの行政処分とは甚しくその性質を異にするものであるから、いやしくも国が所有権を取得するための法律上の要件を欠くときは単に行政処分の手続上のかしに止まらず処分自体の明白且つ重大な誤謬として、たとえ形式上行政処分があつても所有権取得の効果を生じないものと解するのが相当である。従つて、右買収手続は国が所有権を取得するに必要な要件を欠くものであり、従つて行政処分の取消をまつまでもなく、当然無効のものと解するほかはない。
よつて控訴人らの請求はその余の争点につき判断するまでもなく、これを認容すべきものにして、これと異る原判決は取り消すのほかなく本件控訴は理由があるので、原判決を取り消し控訴人らの請求を認容し訴訟費用並に参加費用につき民事訴訟法第八十九条第九十四条第九十六条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 岡咲恕一 亀山脩平 脇屋寿夫)
(目録省略)